単身赴任中の旦那と離れている期間が長くなるほど心の距離も遠くなる
我が家は旦那が単身赴任中。
もう6年になります。
しかも、単身赴任中に出向元の事業所が無くなったため
仕事を辞めない限り、定年前帰ってくる事の無い終わりのない単身赴任
単身赴任の期間が長くなればなるほど、旦那との距離感も遠くなっていき
ふと、離婚の文字まで過ぎるようになってしまいました。
私事で申し訳ないですが・・・
なんでこんな事になってしまったのだろう・・・と振り返ってみたいと思います。
我が家の家族構成
・夫 40歳代後半 フツーの会社員 東北が地元 頭が固い。思考が古い。言い換えれば古風。
・私 40歳代前半 関東が地元 ずっと都会で育って来た。自由奔放タイプ。
・子供 高校生
・子供 小学生
結婚と同時に私が仕事を辞め旦那の地元に来て暮らしている。
車から15分ほどの距離のところに義母が一人で住んでいる
旦那との生活スタイル
夫:平日:月〜金は遅くまで働いている旦那。
6年ともなると、よほどな事が無い限り夜電話をしたりLINEしたり
連絡を取り合ったりはしません。
何の連絡も無いのがお互い生きている証拠。
休日:金曜日の終業後、片道車で4・5時間かけてほぼ毎週こちらへ帰宅。到着は1時頃。
日曜日の夜、また片道車で4・5時間かけてあちらへ帰宅、到着は0時頃。
よって、疲れは溜まり土曜日の夜は子供と一緒に即寝る。
子供の就寝後にゆっくり夫婦で会話の時間などを設けることも一切ない。
家事は受け身に手伝ってくれる程度。ご飯作るとかはやらない。
私:平日のみバートに出ている。最近、職場のストレスが凄くて気持ちに余裕もなし
旦那との空気感にズレが生じるようになってきた
単身赴任が始まったばかりの頃、上の子は小学校高学年。下の子は1歳になったばかりでした。
それはそれは、本当に大変でした。
上の子は寂しがるし、下の子はまだまだ手がかかる時。
下の子が2歳になった頃にパートも始めました。
始めた理由は家族が単身赴任に力尽きて、もし旦那が転職して地元に戻りたいっていった時
地方への転職は収入が下がることが明白だったし、その時に少しでも私の稼ぎでマイナスを
埋められたら・・・と思ったから。
ブラックな職場だったけど、コロナ禍の中、社会人としてもブランクがあり
しかも、小さな子供もいて条件の悪い私を雇ってくれたことに感謝して
必死に頑張りました。
だけど、私の思いとは裏腹に旦那は赴任先でどんどん仕事から抜け出せなくなり
立場も上になり、赴任手当なども考えると収入は上がるし
これから本格的に子供にお金がかかり始める時。
40代という年齢も考えれば、単身赴任は辞めたいと思っても
なかなか転職には踏み切れない状況に・・・。
そんなこんなでお互いがそれぞれの場所で踏ん張って頑張る様になったら
夜は疲れ切って寝てしまったり。
夜の一人時間を大事にしたくて、LINEより電話派の旦那からの着信を寝たふりして
取らなくなっていったりもしました。
週末になると逆に作らないといけない食事の量も増えるし
一人の時間は無くなるし、週末が少し憂鬱に感じるようになっている自分がいるように。
日曜日の夜、旦那が赴任先へ帰るとホッとして羽を伸ばす自分がいるように。
子供たちにおいては、上の子は年頃なのもあって
旦那が帰宅する週末になると部屋に篭る時間が増える様に。
唯一、部屋から出る食事の時間もあまり会話もなくすぐ部屋に戻る様に。
下の子は成長と共にパパがいないこと、帰ることを寂しがるように・・・。
純粋にみんなに笑いかけるこの子の存在が家族を唯一、繋いでくれている感じ。
ただ、物心ついた時からパパが家にいなかったのでパパにはパパの家がある様に思っている。
旦那は地元が好き。家族が好き。
週末は赴任先でダラダラ過ごして休みたいなどもなし。
お酒も飲めないし、平日飲み歩くなども一切なし。
赴任先では毎日、ただ起きて会社に行き、会社から帰宅し寝るだけの
生活をしているという。
とにかく、どんなに疲れていても週末は家族と一緒にいたい。
地元に帰りたい。そんな気持ちらしい。
そんな感じで家族間の思いのバランスが崩れ始めて
心の距離を感じる様になった。
憂鬱に拍車をかける義母の存在
旦那は長男だ。しかも頭が固い。
思考は昭和の頑固親父そのもの。
これは結婚前にはあまり分からなかった旦那の難しい部分。
家系は長男がしっかり引き継ぐもの。
墓は長男が守るもの。
今でもそう思っている。
都会の次男・次女の間に生まれた私にとって、どうしても理解に苦しむ部分がたくさんある。
そして、もっと受け入れられないのが義母の存在。
義母は自由人だ。
結婚した当初は思考が柔らかくて、臨機応変に何事にもプラス思考で
柔軟に対応出来る人だと思っていた。
でも、数年して分かった。
この人は何も考えていないのだ。
そして、とにかく良く喋べる。
しかも、同じ事を。毎回初めて話すかのように喋べる。
そして、そして、私がいった話を全然覚えていない。
なので同じ事は何度も聞いてくる。
とにかく、話が長い。そして自分軸で話をしたがる。
あと、空気を読まない。読めない。
その時、自分の感じたことをその場でストレートに口に出す。
やっぱり自分軸。
自分が良いと持ったことは良い。悪いと思ったことは悪い。
自分が美味しいと思ったモノは美味しい。不味いと思ったものは不味い。
何度もそのストレートな発言で嫌な思いをしてきた。
住んでいる距離が近いので、何か取りに来てとか呼び出された時
さっさと用事だけ済ませて帰りたいのに、話が始まると全然帰れない。
だから私は旦那の実家に行くのが嫌いだ。
頭の固い旦那と何も考えてない義母の思考はいつも折り合いがつかない。
二人が話をしていると衝突し合うのは日常茶飯事。
私は親に対して、声を荒げて意見するとかいう環境で育ってきていないので
二人の衝突している姿を見るのが嫌いだ。
でも、長男だから親を守らなければ・・・という使命感に駆られている旦那は
何だかんだ義母を気にかけている。そしてほぼ毎週末実家に顔を出しに行く。
そして、そして義母も結局は息子が来てくれる事を楽しみにしているし
頼りたい事は全て旦那に投げてくる。
我が家の毎週末の時間にほぼ、”義実家に顔を出す”という時間がスケジュールされてくる。
それだけでも私はストレスが溜まる。
今まで何度も何度も気持ちを伝えてみたが夫婦の答えは平行線のまま
本当なら、6年前に辞令が出た時点で家族みんなでついて行き、
一緒に暮らせばよかったと今更後悔をしている。
だけど当時、軽度の発達障害と診断されていた当時小学校高学年の上の子の
環境の変化を優先的に考えて、思い切った決断に踏み切れなかった。
幼稚園の頃から療育や病院に通い、我が子を取り巻く大人たちに子供の現状を理解してもらい
たくさん考慮してもらい、気にかけてもらいながらゆっくりと成長をしたきた。
小学校も小規模で先生の目がいつも子供に届いている環境だった。
就学前には支援級も視野にあったが、順調に普通級で過ごせていた。
住んでいる地域にも恵まれていて、進学予定の中学校もイジメなどは殆ど聞かず
良い先生方がいる中学校だった。
そんな環境から関東の学校へ転校し、生活基盤を一から築き上げる勇気が私にもなかった。
それぐらい、大変だったのだ。
発達障害と診断されてから、ここに至るまでが。
旦那は地元が好きだし、高齢の両親も近くにいるし、ついてきて欲しいなんて事は
一切、望まなかった。
東日本大震災も経験し、避難生活も終えて生活を立て直そうと
家を購入して数年しか経っていなかった。
ただ、皮肉にも?旦那の赴任先は私が生まれ育ち、結婚前まで暮らしていた地元県だった。
だから旦那について行けば、私は馴染みがあり土地勘のある場所で生活が出来る
もう、何年も会えてない地元の友達たちは『帰っておいで』そう言ってくれていた。
でも、あの時の私には生活環境が変わって上手くいく未来が想像出来なかった。
あの時の夫婦の意見は一致していて、単身赴任を選びました。
その後、子供は中学でも多くの配慮を頂き、先生・友達にも恵まれ
療育なども卒業し、高校受験も乗り越え楽しそうに高校生活を送っています。
1歳だった下の子も元気に小学校通っています。
なので、私たちのあの時の選択は間違ってはいなかったのかもしれないけれど・・・
小学校〜高校生へと成長する間
1歳〜小学校へと成長する間
子供たちの成長は毎日、変化があるほど大きなものでした。
そして、子供たちが乗り越えなければいけない壁や課題
毎日、そばにいるからこそ感じられる変化。
毎日、そばにいるからこそ寄り添える気持ち。
子供たちが多感な時期に側にいなかった旦那と毎日側にいて子供たちを見ていた
私たち夫婦の間には溝が生まれて行きました。
週末に帰って来て、一生懸命離れていた分の穴埋めをするために子供たちに寄り添おう
父親として子供たちにアドバイスをしよう、手を差し伸べようと
必死になる旦那の姿はありましたが
それは的外れな言葉だったり、子供が出した結論の過程を知らない旦那が
子供に対して怒る姿や投げかける言葉に私はイライラが募ったりしていました。
年頃の子供はそんな父親に嫌悪感を抱く様に。
平日の家庭内では禁止していたルールが
週末、旦那のいる時だけは容認されていたり、一生懸命守ってきたルールが
週末に簡単に崩されていくこともイライラが募りました。
旦那の単身赴任が始まってからも、自然災害や事故、コロナなど大変な事もたくさんありました。
なんでこんな時に旦那がいないんだ・・・をたくさん乗り越えてきた私にとって
私が全てやってきた、私が子供たちを守ってきた感を抱く様になってしまった。
旦那がいなくても何とかなるという、変な自信もついてしまったのかもしれません。
家庭内のバランスが崩れ始めるたことに危機を持った私は
息子が大学に進学するタイミングで、家族みんなで関東に行って一緒に暮らせないか・・・
と話を持ちかけました。
旦那と一緒に暮らすために決心して関東から田舎に引っ越してきた。
自分の両親にも頻繁に会えなくなる。何でも話せた地元の友達とも会えなくなる。
兄弟にも会えない。親戚にも会えない。
色んなことに腹を括ってこの地に来た。
なのに今や旦那はいない。
仕事を辞めない限り帰っても来ない。
私はこの地に思い入れもない。
何で私はここにいるのだろう。
でも、旦那の言葉はいつもこう
・地元が好きだから帰りたい。週末帰って来ていることで自分を保っている
・一人になった母親が心配、長男だから面倒を見ないといけない
・仕事は辞めたい。でも今辞めたら生活大変でしょ
・今いる関東が好きになれない。生活出来るイメージがわかない
何度、投げかかけても旦那からの答えは同じ。
平行線のままいつもうやむやに会話が終わりモヤモヤだけ残る。
私は番犬なのだろうか・・・
旦那が好きな地に戻るために家と子供たちを一人で守る
義母に何かあったら駆けつけられるために残されている
そんな風に思ってしまう。
私の気持ちの切り替えはどうすればいいの?
旦那は週末、大好きな地元に帰って来て子供と戯れて
毎週末、大切な自分の母親に会いにいく。
自分のスイッチを切り替えてまた単身赴任先に戻っていく。
私は頼れる親も近くにいない。自分の親に会えるなんて年に1・2回だけ。
週末は旦那が帰って来るからいつも以上に家事が忙しい。
なのに家事に対しては基本受け身、私が全てやるスタンス。
気持ちの切り替えが出来ないまま、週末が終わる。
このモヤモヤの落とし所はどこなのだろう。
もう、夫婦間の気持ちが同じ方向を向かないのなら
別れるも選択肢として考えるべきなのかな。と思い始めました。
でも、子供たちは大事にしたい。
答えの出ない葛藤が続きます。
私が考えた今後の旦那との向き合い方
①週末は基本、家政婦の気持ちで割り切る
自分の気持ちには蓋をして、働いて生活費を入れてくれることに感謝して
不自由なく暮らせることに感謝して
週末は家政婦の気持ちで淡々と家事をこなし、旦那が帰るまでの時間を耐える。
②決断してくれないともう無理だと伝える
仕事は辞めたくない、地元は離れたくない、親も守りたい
全て自分の意見を突き通す旦那にもう無理だと伝え、家族一緒に暮らすことを考えてくれないのなら
別れも考えたいと初めて『離婚』の気持ちがあることを伝える
③自立できるように今から着々と準備をする
今はただ耐えて、経済的自立を目指し、子供たちが巣立ったら
色んな選択が出来る様に備える。
正直、今は向き合う事すら嫌になってしまい。
①のスタイルで、週末は『無』で旦那と接し、③を並行して進めて自分の力を蓄えるべき
なのかな。と思ったりしています。
夫婦って何なんでしょう?
みなさんのご家庭は夫婦円満ですか?
私の周りは離婚組はいないものの・・・
割り切っている夫婦関係の人は多いです。
でも、将来のこと・子供のこと、父親と母親として方向性を決める時は
気持ちにズレが無い夫婦が多く、羨ましいな〜と思います。
私たち、夫婦はいつも本当に意見が合わない。
もう、根底からズレているのに交際中はそんな事も分からず
交際期間も短い中で結婚を決め、田舎に来てしましました。
私は両親共に都内出身のため、祖父母も都内にいたので
田舎って本当にどんな感じの暮らしか分からなかったです。
最初の頃は自然ばかりで何も無いのが逆に新鮮で
子育てするにはいい環境だなって思っていました。
身内も友達も誰も知り合いがいないことが寂しかったけど
頑張ってコミュニティーを築いて来ました。
だけど、知れば知るほど田舎の彼との育って来た環境が
あまりに違うことを思い知り、この地での行事、親戚との付き合い方、
人と人との距離感など、戸惑い、苦しむことが多くなりました。
なのに、唯一頼れる存在であるハズの旦那もいない。
結婚って何なんでしょ。夫婦って何なんでしょ。家族って何なんでしょ。
旦那は周りから見れば温厚で、良い旦那さんって言われる事が多いです。
実際、今まで怒鳴られたこともありません。真面目に働いてくれていると思います。
でも、今はそうゆう旦那が結局は全てにいい顔をしている偽善者に見えてしまうんです。
全部を保とう、守ろうとしているのかも知れないけど、結局は全て中途半端。
何か一つが崩れると、全てが崩れてしまうところまで来ているんだよってことを分かって欲しい。
誰だって全てうまくやりたい。全てを守りたい。
だけど、何かを妥協して、何かを諦めて、歩み寄らなければいけない時ってあると思うんです。
私がわがままなのでしょうか。
私の理解が足りないのでしょうか。
私の歩み寄りが足りないのでしょうか。
ここに書き出したら少し気持ちの整理がついて来たので
冷静にいま一度考えてみたいと思います。
もう何年も足踏み状態で自分のこの先の未来が想像できません。
生活基盤をしっかり立て直したい!!!
気持ちが落ち着かない時に、リラックス出来る香りで部屋をいっぱいにしています。
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美味しい紅茶も欠かせません。気持ちを落ち着かせます。
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